織田信長の暗殺に浮上する黒幕とは?

織田信長が自害まで追い込まれた「本能寺の変」を明智光秀が一人で画策し、1万3000人もの軍勢を短期間で揃えて襲撃できた裏には、黒幕の存在が推測されます。

明智光秀は織田信長に忠誠を誓いながら、影のように寄り添いながらも、その謀略を助けていたのはキリスト教イエズス会だったのかもしれず、表面上は布教の窓口となっていた織田信長も神道派であり、イエズス会との溝は時間の経過と共に大きくなっています。

織田信長や豊臣秀吉と会見したポルトガルのカトリック宣教師、ルイスフロイスが残した手紙や資料などからも、明智光秀の嘘の多さが見破られています。

しかも、光秀は信長に仕える前、足利家にも務めており、織田信長の暗殺という面では、さまざまに想像できます。

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織田信長の暗殺計画に浮上する黒幕とは?

本能寺の変を起こしたのは、明智光秀であることは明確なことですが、単独犯だったのか、彼を扇動した黒幕がいたのかは結論が出ていません。

黒幕の存在が疑われるのには、本能寺の変での明智光秀の手際の良さと、事前の準備が用意周到になされていたと思われる節が多々ある点から、そう考えられています。

徳川家康や羽柴秀吉、中国の毛利氏、比叡山延暦寺や石山本願寺などの仏教勢力、朝廷や公家勢力など、黒幕の存在にはさまざまな説が考えられます。

単純には、農民出身の羽柴秀吉が、明智光秀をけしかけて織田信長暗殺を実行させたとすれば、そのタイミングをはかったかのように、毛利との和睦後に帰還したスピードの速さや行動も容易に説明がつき、明智光秀に罪を押し付けるためだったとも考えれば、黒幕の存在ともなります。

明確にされていない明智光秀の動機

織田信長が尾張の統一、天下統一へ向かう途中で、本能寺の変という暗殺にあったことには、それまでの恨みや戦国時代ならではの勢力争いが根底にあり、前述のようにさまざまな黒幕の存在が疑われ、明智光秀は単なる実行犯だった可能性も示唆しています。

しかしながら、織田信長に忠誠を誓い、影のように振舞っていた明智光秀が主君である織田信長を討ち取るに至る動機がはっきりしていないことも、謎として残されています。

ポルトガルの宣教師であるルイスフロイスが残した「日本史」は、織田信長や豊臣秀吉との会見や当時の日本を知る貴重な資料となっており、そこには明智光秀の記述もあり、彼の人となりを推測できます。

ルイスが残した記述からは、頭の良さとツメの甘さを感じさせ、嘘も平気でつけることを裏付けるかのごとく嘘泣きの演技にも記述が及んでいて、信長がそういった光秀の性格を疎んじていることも否めません。

明智光秀の織田信長への謀反の本当の動機が解明されれば、黒幕の存在や本能寺の変の本当の真実が解明されるのかもしれません。

本能寺の変の手際の良さに、黒幕の存在が?

本能寺の変で自害させられた織田信長の暗殺は、明智光秀の1万3000人の軍勢によってあまりにも手際よく行われており、その用意周到な計画性には黒幕の存在が考えられています。

織田信長の気性の荒さと、それまでの統一の過程から、恨みを抱く人間や組織も多く、織田家家臣の徳川家康、羽柴秀吉や、毛利、仏教勢力、朝廷や公家など、さまざまな黒幕が挙げられます。

本能寺の実行犯となった明智光秀の動機も明確にはなっておらず、真相は今後新たな資料の発見や解釈が成立することで、新たな歴史の解明がなされるかもしれません。

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