織田信長と浅井長政の関係の変化には何があったのか?

織田信長と浅井長政の関係には、同盟を結び信頼を寄せた二人が、その後二度にわたって戦うことになり、最後は浅井長政が自害する結末を迎えます。

浅井長政は、織田信長の妹、お市の方を正室として迎え入れ、三人の娘が誕生していることからも、両者の同盟関係に疑いの余地はなく、何が起きて戦さとなったのでしょう。

浅井長政と織田信長の関係は、これまでのドラマや映画などにも数多く描かれており、両者の仲の良さと戦国武将としての裏切りの結果がドラマチックに描かれる作品もあります。

織田信長、浅井長政が同盟関係を必要とした状態の背景や戦略を紹介します。

織田信長と浅井長政の同盟関係には?

尾張を統一するために織田信長は約7年間の戦乱を続け、矢継ぎばやに足利義昭を擁して京にむけて進撃を始めます。

織田信長の尾張を囲む美濃、三河、近江のそれぞれの方面には、同盟関係をもつことで安定をはかる戦略がとられています。

美濃の東部には、帰蝶との婚姻関係での同盟関係を結び、三河の徳川には、娘の五徳を信康に嫁がせることで清須同盟を強固なものにしています。

近江には、浅井長政に妹のお市を嫁がせることで、織田信長の朝倉封じも意図していたとも考えられます。

浅井家と盟友である朝倉義景と織田信長の関係が悪いことから、朝倉家に織田が戦を仕掛けないことが同盟の内容に盛り込まれていたようです。

一方の浅井長政も、南の六角家、美濃の斎藤家といった周囲との勢力争いのために、織田信長との同盟は必然だったと思われます。

織田信長と浅井長政の同盟破綻はなぜ?

織田信長と浅井長政の同盟は、織田信長が浅井領内を利用して朝倉家に侵攻しようとしたために、浅井家が織田軍を挟み撃ちにしようとすることで壊れます。

朝倉家に戦を仕掛けないことが、織田家と浅井家の同盟に盛り込まれていたものを織田信長が先に裏切ったことが原因であり、浅井長政の対応は仕方のない判断ともいえます。

織田信長の朝倉攻めを、浅井長政が背後から板挟みにしようとした危機をお市の方の機転で情報が織田信長に伝わり、自国へ逃げ帰ることに成功しますが、両家の同盟関係は完全に壊れます。

その後、織田信長と浅井長政は、姉川で雌雄を決することになり、織田信長は徳川家康を味方につけ、浅井長政は朝倉家を味方にして戦さとなります。

姉川の戦いと呼ばれるこの戦さで、浅井長政は古谷城に籠城することになり、3年後の古谷城の戦いにおいて織田信長が浅井長政を自害に追い込みます。

浅井長政が自害する前に、お市の方と3人の娘は、織田信長の元に戻ります。

織田信長と浅井長政の関係は、戦国時代ならでは?

織田信長と浅井長政の関係は、戦国時代での勢力争いの中の同盟交渉と戦略に翻弄されたもので、その被害者ともいえるのが織田信長の妹お市の方と三人の娘たちと言えるかもしれません。

一度信頼したら自分から裏切らなかった数少ない戦国武将である織田信長でしたが、朝倉と浅井の両者の関係性には他の武将になり信頼関係があったと考えられ、いったん浅井長政との同盟を結ぶものの、結局は裏切ったことになり古谷城の戦いにつながってしまいます。