織田信長と織田信成との関係

戦国武将には正室の他にも、直系の男子を増やすために数多くの側室を抱えていることが普通で、子沢山の戦国武将も多く、織田信長もその一人です。

メディアに時々登場する戦国武将の末裔というタレントがいますが、フィギュアスケートでバンクーバーオリンピックに出場した織田信成さんもその一人です。

織田信成さんと織田信長の肖像画の顔を見比べると、どことなく似ている印象を受け、その関係性をメディアが取り上げています。

織田信長の家系に関わる子孫や織田信成さんについて紹介します。

織田信長の子孫たちには?

織田信長には、歴史の教科書に載っている子供達を合わせると、少なくとも20人以上いる子沢山の戦国武将だったことがわかります。

織田信長の直系の子孫には、明治時代以降に華族となった天童藩と柏原藩の二つだけです。

織田信長を初代として、信高、高重、一之、信門、信倉、信直、長孺、15代の信義と憲子の間に生まれた信治と信成が17代目にあたるという家系図を、織田信成さんがテレビ番組出演時に公表しています。

織田信成さんが示した家系図には、10代目から13代目の間の世代が抜けており、この点が織田信成と織田信長との関係を疑う声が上がる原因となっています。

織田信長の直系子孫の名前には?

織田信長の子孫には、「信」の文字が使用されており、織田信長の次男信雄の血をひく直系家系である丹波柏原織田家19代当主の織田信孝さんが、息子にあえて「信」をつけなかったことを明らかにしたことが話題となりました。

織田信孝さんは、織田信長と同様に破天荒な生き方をされており、織田信成さんと織田信長との関係についても、独自の切り口で絶妙な表現を使ったコラムで書かれています。

織田信長の数多くいた子孫を証明できる家系図も、織田信長の死後数百年という月日のなかで、天災や大火事などさまざまな災害によって消失したり、明確にできる子孫は天童藩と柏原藩との関係を持つ家系だけになっています。

そのため、織田信長の子孫かどうか判断できない織田姓の子孫が多数存在している可能性もあり、織田信長との関係を明確にできない人物も多数存在していると考えられ、織田信成と織田信長の関係にも疑念がもたれる可能性を残しています。

織田信成さんは織田信長の子孫?何代目?

織田信成さんは、織田信長の17代目の子孫であるとしていますが、家系図には10代目から13代目の子孫が記載されておらず、そのことがふたりの関係性に疑念がもたれています。

20名以上いたとされる織田信長の子供達も、その後の江戸時代のお家取りつぶしや災害などによる家系図の消失などで、明治以降に確認できる織田信長の直系家系は、天童藩と柏原藩の二つです。

織田信成さんが示した家系図の信憑性については、さまざまに言われていますが、真偽について証明する明確な証拠もなく、数百年前から続く家系図を残すことが難しいことを示しています。