戦国時代に南蛮貿易を行うためには、スペインやポルトガルからの宣教師たちの布教活動を認めて交流することが前提条件となっていました。
1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名なザビエルは、キリスト教だけではなく、織田信長が長篠の戦いで実戦使用した鉄砲や眼鏡なども伝えています。
織田信長が生まれたとされるのが1534年で、長篠の戦いが1575年ですから、ザビエルと織田信長との関わりは、イエズス会を通したものと考えられます。
織田信長が戦国時代に起こした戦術の変化となった鉄砲や、さまざまな文化的な影響を受けることとなったザビエルが率いた宣教師について紹介します。
ザビエルの布教活動に隠された目的は?
戦国時代の日本に初めてキリスト教を伝えた人物として有名なザビエルですが、本来の目的はアジアを植民地化するための先兵としての役割をもっていました。
ザビエルをはじめとしたインドや東南アジアでの布教活動を目的に結成されたイエズス会は、他の宗教や宗派を認めない攻撃的な布教活動を展開していて、スペイン帝国にとっては植民地化政策の道具として利用されていました。
しかしながら、イスラム教の布教活動に邪魔されて大した成果があがらず、布教先を極東の日本へと変更し、薩摩島津に入りますが、当時の戦国武将にとっては、キリスト教への興味はなく、主たる目的は鉄砲に関するものでした。
ザビエルたちが仏教徒たちの改宗を強要したうえに、貿易をおろそかにしたことで島津氏の逆鱗に触れ、京都へと向かい、応仁の乱の後の状況から天皇との面会は叶わず、中国地方の大内義隆に献上品を献上し、布教活動を始めます。
織田信長とイエズス会との関わりには?
織田信長とザビエルが直接面会してはおらず、ザビエルとの関係をもつイエズス会のルイス・フロイトが、1569年に信長と直接面会しています。
織田信長は、神仏を利用して戦国大名並みに兵力と蓄財を続ける旧来からの寺社勢力を嫌っており、仏教界の勢力を牽制する意味もあって、キリスト教の布教活動を許可したと考えられ、尚且つ、ヨーロッパからの物品を輸入する手段としてキリスト教を利用したと考えられます。
織田信長が長篠の戦いに準備した3000丁といわれる鉄砲の多くを、大阪の堺から調達していますが、その後のさまざまな西洋文化や物品の輸入のきっかけを作ったのが、ザビエルの日本への布教活動といえます。
織田信長と面会したイエズス会のルイス・フロイトは、日本に約35年ほど滞在したと考えられ、日本での布教活動の状況などを中心とした「日本史」に記しています。
織田信長とザビエルの関係には?
織田信長とザビエルが直接面会してやり取りした記録はなく、活躍した時間にも多少の相違が見られますが、ザビエルが日本に伝えた鉄砲やキリスト教が、織田信長の武将としての判断に影響を与えています。
織田信長が関わったルイス・フロイトは、イエズス会の宣教師のひとりであり、ザビエルとの関わりを持ち、信長から秀吉、さらに家康と天下人が入れ替わる激動の時代を「日本史」に書き記しています。
ザビエルがキリスト教の布教のために日本へやってきたことには、スペイン帝国の東アジア圏の植民地化政策の先兵としての意味合いがあったものの、結果的にはイエズス会が日本の影響を受ける結果となったようです。