織田信長の戦略の特徴は?戦歴は?

織田信長には、少数の軍勢で今川義元の大軍を破った戦歴から、他の戦国武将たちよりも戦さに対する戦略が優れた勝ち戦ばかりのイメージがあります。

戦国武将たちの戦さには、小さな小競り合いから大軍同士の大規模なものまで、その様相はさまざまですが、大将の首が討ち取られれば武将の人生も終わるわけです。

戦国時代の戦さに、はじめて鉄砲隊を投入して騎馬隊を撃破した織田信長は、その後も対戦する武将たちに合わせた戦略による戦歴を残しています。

織田信長が、本能寺の変で最期を迎えるまでに残した戦歴と有名な戦さの戦略などを紹介します。

織田信長の戦歴にみられる特徴的な戦略は?

織田信長が、父信秀の死去にともなう家督争いのために弟信行と戦った「稲生の戦い」で勝利し、尾張国の統一までに約8年を要し、その後の天下統一に向けた戦いを続けます。

織田信長が生涯に戦ったとされる68戦のうち49勝、15回の負けと4回の引き分けの戦歴を残しており、負けの数の多さからは、戦さ上手のイメージとはかなり違います。

戦国武将たちの基本戦略には、敵よりも多くの兵力を揃えることがセオリーです。

しかしながら、織田信長の戦略には、敵の武将の首を打ち取ることが勝利となる戦国時代の戦いのために、敵大将の居所や兵の配置などの事前に調べられるだけの情報を取得し、少数の軍勢による奇襲をかけることで、多くの勝利を収めています。

それに加えて、戦国武将として大切な大きな戦さで負けず、負けそうな戦いからの撤退の判断がはやく、負けそうな戦いを避けていたことも特徴といえます。

織田信長が残した有名な戦いには?

織田信長が残した有名な戦いには、前述の「稲生の戦い」、そして戦国武将として名を馳せることとなった「桶狭間の戦い」、「美濃攻め」、「姉川の戦い」、「長篠の戦い」などの戦歴が挙げられ、「本能寺の変」で最期を迎えることとなります。

「桶狭間の戦い」では、今川義元の十分の一ともいわれる軍勢で、奇襲をかける戦略をもって撃破し、「美濃攻め」には謀略を使い、「姉川の戦い」は越前侵攻での撤退戦を強いられた報復のための戦いで、「長篠の戦い」では鉄砲の三段撃ちや馬防柵を使うなどの戦略に加えて大軍による戦いを武田軍に仕掛けています。

それぞれの戦いにおいて、敵陣に関わるさまざまな情報を収集し、合理的に分析したうえで、特徴的な戦略で対応しています。

織田信長の残したさまざまな戦略と戦歴

戦国時代の武将として、敵対する武将たちと旧来からの宗教勢力との戦いをしてきた織田信長は、生涯に約70回近くの戦歴を残し、それまでの戦い方を変える戦略を残しています。

織田信長が使用を初めて取り入れた鉄砲隊の三段撃ちや、奇襲作戦、謀略など、さまざまな戦略があり、その後の戦争に影響を与えたものも多くあります。

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