織田信長と岐阜の関係は?命名したのは?

戦国武将として有名な織田信長が、1567年に現在の岐阜市に入城し、当時「井口」と呼ばれた地名を「岐阜」に改めて450年になる2017年に、岐阜市では「信長公450プロジェクト」と称して官民一体となって、さまざまな情報やブランドを発信しています。

織田信長が岐阜を拠点として行った楽市楽座や、鵜飼、おもてなしは、現在の岐阜市へとつながる原点となるものが、数多く残されています。

織田信長が天下布武を目指した拠点とした岐阜の関係や、命名の由来などについて紹介します。

織田信長によって岐阜と命名された由来には?

織田信長によって命名された岐阜には、信長の思いや天下布武を目指す意思が示されたともいわれ、その名前の由来には中国の故事からきたとされています。

中国の故事にある「周の文王が岐山から起こり、天下を定める」から「岐」の文字がとられ、孔子の生誕地である「曲阜」から「阜」が引用されたといわれています。

織田信長が天下布武を目指して拠点を置いた金華山の城からは、標高わずか300メートルしかないものの、西は伊吹山から東は名古屋の中心街まで見渡せる、左右を見分けることのできる岡であったこともあり、「岐」という漢字がもつ分かれるという意味と、大きいとか岡、丘の意味をもつ「阜」を合わせた「岐阜」と命名したともいわれています。

天下布武を掲げた織田信長にとっては、居城とした金華山の眺望もその命名に関係したのかもしれません。

織田信長と岐阜との関係は?

織田信長が岐阜との関係をもつのは、斎藤道三が金華山の稲葉山城を居城として入城したことがあります。

さらに、織田信長は斎藤道三との同盟関係のために、娘である濃姫を正室として迎え入れたことで、より身近な場所となったと考えられます。

織田信長が斎藤龍興と戦い勝利したことで、それまでの井口という地名を改称し、岐阜と命名し、稲葉山城も岐阜城と改名しています。

織田信長は、岐阜の地で商業の活性化を推進するために「楽市楽座」を設けており、鵜飼なども保護したとされ、ポルトガル宣教師フロイスが岐阜の状況を本国に伝えた書簡にも記録が残されています。

尾張の戦国武将であった織田信長が、尾張の統一を果たして天下統一に向けて動き出した拠点とした岐阜との関係は、斎藤道三が大きく関わっています。

織田信長が命名した岐阜との密接な関係

織田信長が斎藤龍興との戦いに勝利し、金華山の稲葉山城に入城し、その名称を改称して、岐阜城と命名して2017年で450年を迎え、岐阜市では官民一体のプロジェクトが推進されていました。

岐阜という命名には、中国の故事からの引用や、金華山の眺望からの漢字の引用と諸説がありますが、織田信長の天下布武に向けた思いが関係していると推測されます。