織田信長と熱田神宮の関係

三種の神器のひとつである「草薙神剣」が祀られた熱田神宮は、愛知県名古屋市に位置し、織田信長とも関係が深い場所のひとつです。

熱田神宮は、第12代景行天皇の時代に日本武尊が結婚した宮簀媛命の元に草薙剣を留め置いたものが、亡くなった後に熱田に社地を定めて剣を奉斎鎮守したことが始まりとされています。

宮司職は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていましたが、平安時代の後期には藤原南家の藤原季範にその職が譲られ、以降はその子孫たちが務めています。

織田信長がおこなった焼き討ちをみると、神仏への信仰とは無関係のようにも思えますが、現実は少し違うようです。

熱田神宮の残される織田信長の「信長塀」

熱田神宮には、織田信長が桶狭間の戦いの前に必勝祈願のために立ち寄り、お礼参りにも訪れたとされています。

桶狭間の戦いの前に熱田神宮に立ち寄ったのには、熱田神宮にいた神兵の援軍を依頼したという説もあります。

桶狭間の戦いで勝利した織田信長は、熱田神宮にお礼参りした際に、現在では「信長塀」と呼ばれる全長400メートルにも及ぶ塀を寄進しています。

寄進した当初は400メートルあった塀ですが、現在では120メートルほどが残っており、西宮神社の大練塀や三十三間堂の太閤塀とならび日本三大土塀として有名です。

信長塀は、土と石灰を油で練り固め、瓦を厚く積み重ねられた作り方が施され、国宝の海上門とつながっていましたが、海上門は戦火で焼けて消失しており、現存する信長塀は歴史を語る貴重な資産となっています。

名古屋でのパワースポットとしての熱田神宮

現在の熱田神宮は、織田信長が必勝祈願に訪れたというエピソードからも、一大観光地化されていますが、他の観光地化したパワースポットとは違う存在となっています。

都会の中にありながらも、参道を進むに連れて玉砂利の音や小鳥のさえずりに包まれることで、荘厳な雰囲気が感じられ、正門、東門、西門のいずれから入っても神社参拝の簡略化した儀式が行えるようにされています。

熱田神宮本宮は、創祀1900年を迎える平成25年に修復作業が行われ、新しい社殿が完成しています。

織田信長が桶狭間の戦いでの勝利を祈願して訪れた400年前をはるかに超える以前から存在していた熱田神宮が、パワースポットとなっている由縁といえます。

現在では、ボランティアによる観光ガイドが実施されており、一般の祈祷は神楽殿で行われ、一般の参拝者の本宮への入場はできませんが、古来からの伝統的な要素と都会の中の熱田の杜としての存在感を示しています。

織田信長と熱田神宮のつながりは、桶狭間?

神仏とは縁がなかったような印象がある織田信長ですが、風水や信仰に対しても当時の人物としては革新的な人物だったと考えられます。

神仏に対する畏怖の念を持っていたことを示すかのように、熱田神宮に織田信長が寄進した「信長塀」の存在があります。

桶狭間の戦いでの勝利を祈願するために熱田神宮を訪れ、勝利した後のお礼参りの際に、織田信長が全長400メートルにもおよぶ土塀を寄進しています。

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