織田信長の結婚は?子供は何人?

戦国武将の多くは、正室に加え側室と呼ばれる公認の愛人を複数抱えていることが普通で、織田信長にも同様の結婚の形態が確認されています。

織田信長が美濃の斎藤道三の娘である濃姫との結婚をしていますが、二人の間に子供はなく、信長の子供は皆、側室との間の子供達で少なくとも20人以上いたとされます。

明智光秀の謀反により49歳で亡くなった織田信長ですが、同時期の武将である女性好きの豊臣秀吉が4人の子供を残し、徳川家康が16人の子供を残したことからすれば、子沢山であったといえます。

織田信長の正室濃姫との結婚や、側室との子供などについて紹介します。

織田信長の結婚は?

織田信長を描いたドラマや映画で必ず登場する濃姫ですが、生没年に明確な記録もなく、子供を産んだ記録も残されておらず、帰蝶あるいは胡蝶が正式な名前とされています。

濃姫は、美濃国斎藤道三の娘として生まれ、織田信長と結婚する以前に土岐頼純の元に嫁いだとされ、信長との結婚は二度目の政略結婚とされ、数え歳で15歳だったといわれています。

濃姫には、父斎藤道三から織田信長が噂通りの大うつけであれば刺せと短刀を渡された時に、父上を刺すことになるかもしれませんと答えたという逸話も残っており、戦国時代ならではの政略結婚の荒波の中を生きた女性であることが感じられます。

織田信長と濃姫との結婚式は記録されておらず、濃姫は、本能寺の変で信長と共に戦って亡くなったという説や、江戸時代の織田信雄分限帳に記載される安土殿が濃姫とされる説などがあります。

織田信長の子供達を生んだ側室たち

織田信長が残した多くの子供達は、9人もいたといわれる側室たちとの間に生まれており、なかでも信長が最も寵愛したといわれる生駒吉乃との間には長男信忠、次男の信勝、長女徳姫がいます。

長男信忠の乳母を務めた慈徳院との間には九女の三の丸殿、坂氏との間には三男信孝、養観院との間には四男秀勝と次女の相応院、お鍋の方との間には七男信高と八男信吉、七女の於振、土方氏との間には九男信貞といった子供がいます。

これらの子供の他にも、五男勝長、六男信秀、十男信好、十一男長次、三女永姫、四女報恩院、六女秀子、八女源光院、十女鶴姫、十一女月明院、十二女慈眼院がおり、母親の明確な記録は残されていません。

織田信長の正式な結婚は美濃国の濃姫だけですが、公認の愛人である側室との間には、名前が確認できるだけでも前述のように多くの子供が残されています。

織田信長の結婚と残された子供達

織田信長は、美濃国の斎藤道三の娘である濃姫を正室として迎え入れた結婚をしていますが、二人の間に子供はおらず、側室の生駒佳乃との間を嫡男として迎え入れることを濃姫に承諾させていることからも、信長と濃姫との関係は良好だったと考えられます。

常に命の危険を感じていたであろう戦国武将たちが、多くの子孫を残すために、複数の側室を抱え、正室との結婚を継続させることは現代では考えられない苦労が想像されます。

子沢山であった織田信長でさえ、明治維新以降に直系の男子としては二つの藩しか残っていません。

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