織田信長の時代には眼鏡が伝えられていたの?

江戸時代を描いた時代劇では、ときどき眼鏡をかけた武士や望遠鏡を使う殿様の姿が登場することがありますが、いつ頃から日本には眼鏡があったのでしょうか。

眼鏡は1200年代後半に開発されたといわれ、キリスト教を日本に伝えたフランシスコ・ザビエルが、献上品の一つとして眼鏡を持ち込んでいます。

日本に眼鏡が伝わったのは、1551年に周防国の大内義隆に献上されたものが初めてとされ、時計や鉄砲などと共に献上されています。

ルイス・フロイトの「日本史」によれば、織田信長と面会したフランシスコ・ガブラルが眼鏡をかけていたと記されています。

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歴史上の人物と眼鏡の由来には?

日本で初めて眼鏡を手にしたのは、周防国の大内義隆との面会の際に、フランシスコ・ザビエルが献上した贈り物の中に眼鏡が含まれていた記録がありますが、現物は残っていません。

ザビエルの献上品は、大内氏に渡される予定のものではなく、天皇に布教活動の許可を得るために用意されたものでしたが、応仁の乱で実権を失っていた天皇に渡さなかったのか、単に失念したのかは定かではありません。

ザビエルをはじめとした宣教師たちが布教活動で日本の各地を巡ることで、南蛮人の存在とその服装、眼鏡にも一般庶民が驚いたことは、ルイス・フロイトの「日本史」にも記述があり、岐阜城下での出来事も記載されています。

「日本史」によれば、織田信長の居る岐阜城下では、「南蛮人には目が四つあり、うち二つは鏡のように輝いて恐るべきもの」といって驚いたという反応の記述があり、遠方から人が寄ってきたという記載もあります。

織田信長に献上された遠眼鏡とは?

キリスト教の布教活動で日本国内の各地を巡っていたフランシスコ・ザビエルたちが、織田信長の居城である岐阜城下に入ったことは「日本史」にも記述があります。

織田信長と面会したフランシスコ・ガブラルは、遠眼鏡を献上したといわれ、新しモノ好きの信長は大変喜んだとされています。

遠眼鏡は、字面からは望遠鏡とも解釈できそうですが、望遠鏡の発明は1600年代に入ってからですので、織田信長が生きていた時代にはまだ献上されるはずはありません。

そのため、織田信長に献上された遠眼鏡は、遠視用の眼鏡と考えられます。

徳川家康も眼鏡を愛用していたといわれ、その眼鏡とされるものが、静岡県の久能山東照宮に納められています。

織田信長にも献上された眼鏡は、ポルトガルの宣教師から?

日本に初めて伝わった眼鏡は、ポルトガルからの宣教師たちが持ち込んだもので、周防国の大内義隆に献上されたものが最初といわれています。

その後、宣教師たちが日本各地を巡る中で、一般庶民も南蛮人を目にし、眼鏡をかけた姿も認識することとなります。

織田信長の居城であった岐阜城下でも、眼鏡をかけた南蛮人は騒ぎになったとルイス・フロイトの「日本史」にも記述があり、フランシスコ・ガブラルが織田信長と面会した際に、遠眼鏡を献上しており、新しモノ好きの信長が喜んだようです。

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