織田信長は宗教弾圧の意思があったのか?

戦国武将のなかでも合理主義を感じさせる織田信長は、楽市楽座にみられる既得権益を排除する姿勢がみられ、旧来からの勢力に対しても同様のことが推測できます。

戦国時代の寺社勢力は、神仏を利用した僧兵力を強化しながら、有力大名並みの資金力を有していたため、必要に応じた挙兵も可能な状況にありました。

そのため、織田信長が、浅井朝倉との戦いでの敗走兵を庇った比叡山延暦寺を焼き討ちにしたことなどから、宗教弾圧の意思があったとも感じられます。

しかしながら、織田信長のキリスト教の保護や寺社勢力への対処をみれば、必ずしも宗教弾圧とはいえず、信長の宗教対応などを紹介します。

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織田信長は宗教弾圧をしたかったのか?

織田信長は、戦国武将たちとの戦いだけではなく、本願寺の一向一揆、比叡山の焼き討ちなど、寺社勢力との戦いも繰り広げています。

特に、浅井朝倉との戦いで敗走した兵たちを庇った比叡山延暦寺に対しては、無抵抗な女性や子供に対しても徹底した残虐と思える対処をしたことから、宗教弾圧をはかったということが通説にもなっています。

しかしながら、一向一揆や比叡山延暦寺への対応には、織田信長に対する暴力的な僧侶たちの行動が前提として存在しています。

織田信長以外の戦国武将が、敵対する勢力の武力攻撃に対して応戦したのと同様に、寺社勢力の武力攻撃に対して、織田信長は戦国武将たちの挙兵への応戦と同じ扱いをしたにすぎません。

織田信長がキリスト教に行った保護には?

織田信長が、比叡山や本願寺の一向一揆、石山本願寺との戦いにみせた仏教勢力との対応とは逆に、イエズス会に対するキリスト教の布教活動の許可や保護の対応をとっています。

織田信長にとって、ポルトガルからの宣教師たちへのキリスト教の布教活動の許可や保護には、南蛮貿易で海外からの新しいものを手に入れるための手段としての目的があり、鉄砲に必要な火薬を手に入れる手段だったとも考えられます。

織田信長にとっては、仏教やキリスト教といったいずれの宗教にもそれほどの興味があったとは思えず、いかに利用価値があるかどうかが、問題であり、邪魔をする存在であった宗教勢力の武装組織としての面を排除したかったと思われます。

そのため、キリスト教の布教活動で、庶民の宗教に対する固定観念を払拭し、それまでの既存団体の優位性を削ぐ効果を狙ったと思われ、宗教弾圧とは真逆の措置と思われます。

織田信長にとっての宗教は?

織田信長は、長篠の戦いや桶狭間の戦いなどにおいて、熱田神宮などへの必勝祈願やお礼参りも行なっており、神仏への崇拝の念はもっていたと考えられます。

その一方、神仏を利用したそれまでの寺社勢力の武装組織としての対応には苦慮しており、武力に対しては、比叡山延暦寺の焼き討ちにみられるような残虐性を感じるほどの対応を見せています。

現代の仏教からは考えにくいのですが、戦国時代の仏教に関わる集団には、戦国武将に匹敵する兵力と財力をもち、必要に応じた攻撃を仕掛けていました。

織田信長の寺社勢力に対する武力による対処には、寺社の武装組織を排除するために必要な行動であり、宗教弾圧を目的とするものではなかったと解釈できます。

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