織田信長と斎藤道三との関係は?長良川の戦いの関わりは?

尾張国と美濃国は、織田信長と斎藤道三の二人の思惑が一致したこともあって、同盟関係が結ばれ、斎藤道三の娘「濃姫」が織田信長の正室となり、二人は義理の親子になります。

織田信長と斎藤道三が同盟を結ぶまでに直接面会した記録はなく、伝達といった形で話が進められ、もちろん濃姫と信長が、結婚前に直接会うこともなく、現代とは違います。

斎藤家の親子ゲンカともいえる長良川の戦いでも、織田信長が斎藤道三への援軍を送るほどの関係は、戦国時代の義理の親子関係以上のものを感じさせます。

織田信長の援軍の到着が間に合わなかった長良川の戦いや、織田信長と斎藤道三との関係性を紹介します。

織田信長が援軍を用意した長良川の戦いとは?

戦国時代の他人を巻き込んだ盛大な親子ゲンカともいえる長良川の戦いは、織田信長の舅である斎藤道三と息子の義龍との戦いです。

斎藤道三は、家督を嫡子である義龍に譲ったものの、次男以下の子供たちを気に入っていたため、義龍が弟たちを殺害し、父親に対して挙兵して長良川の戦いに至ります。

家督を譲った状況の斎藤道三には、ほとんど味方となる兵力が確保できず、長良川を挟んで対峙した時点で、義龍の軍勢の7分の一の兵力しかなかったといわれています。

織田信長が援軍を斎藤道三の元に送るものの、義龍の軍勢が一足先に道三を討ち取ることになり、間に合いませんでした。

織田信長と斎藤道三の義理の親子関係だけではない?

織田信長が斎藤道三を同盟関係の戦国武将として信頼していたために、斎藤家のお家騒動といえる長良川の戦いに援軍を送ったと考えられ、斎藤道三の死後、岐阜城に「天下布武」の印章を使ったことにも現れています。

天下布武には、斎藤道三が理想に掲げていた天下統一という意志の現れで、織田信長が受け継ぐ意志を示したといえます。

また、織田信長がおこなった「楽市楽座」と「関所の廃止」という二つも、経済を活性化する方法のヒントを斎藤道三が提示したものを具現化したのではないかと考えられます。

合理主義者だった織田信長が、斎藤道三の戦略性や思慮深さに共感し、尊敬や信頼を抱くことに不思議はなく、義理の親子関係ともなればなおさらです。

織田信長と斎藤道三とに共通した思いによる関係

織田信長と斎藤道三には、戦さのない世の中を実現しようとする天下布武という共通の思いがあり、戦国時代の戦乱の中で同盟関係を結び、義理の親子関係となることでその想いも結びつけていたように思われます。

斎藤家の家督相続による争いとなった長良川の戦いにおいて、織田信長が斎藤道三への援軍を送ったことにも二人の信頼関係がうかがえ、後の楽市楽座や関所の廃止にも斎藤道三の戦略性を感じさせるものが登場しています。

織田信長の天下統一に向けた構想に大きな影響を与えたのが、斎藤道三であったと考えられ、義理の親子関係という同盟関係だけでなく、信長が斎藤道三の武将としての器量に尊敬の念を感じていたのかもしれません。