戦国時代の女性は、男性の戦国武将の道具として扱われることが多く、その不条理を受け入れつつも、その運命に立ち向かった女城主たちがいます。
女城主といえば、大河ドラマにも取り上げられ話題となった現在の静岡県浜松市の井伊直虎ですが、ほかにも日本各地に女城主が存在していました。
福岡には僅か7歳で女城主となった立花闇千代、岐阜には織田信長の年下の叔母にあたるおつやの方、群馬には金城城の妙印尼輝子、埼玉には甲斐姫、大分には妙林尼といった女城主たちがいました。
大河ドラマで有名になったおんな城主直虎とならんでカリスマ女城主だったおつやの方を紹介します。
戦国時代での政略結婚とは?
戦国時代には武将同士の裏切りや謀叛が日常茶飯事に起きており、政略結婚には、武将同士の結びつきを強化し、裏切りを防ぐための意図があります。
織田信長がお市の方を浅井長政との同盟関係のために嫁がせたことは有名ですが、年下の叔母であるおつやの方を複数回にわたり政略結婚に利用しています。
お市の方は織田信長とは兄妹の関係にあり、おつやの方は織田信定の末娘で、お直の方や岩村御前などの通称でも呼ばれ、織田信長とは、叔母と甥の関係にあたります。
おつやの方が嫁いだ岩村城主遠山景任は、桜洞城主三木自綱を攻撃した時の怪我が元で病死し、織田信長は家督相続を目的に当時6歳程度だった五男の御坊丸をおつやの方の元に養子として送り込み、おつやの方が当主を引き継ぎ女城主となります。
女城主のおつやの方に侵攻した秋山信友
岩村城の女城主となったおつやの方に対して、武田信玄が依田信守と秋山信友を派遣して岩村城を包囲させます。
おつやの方が女城主として秋山信友の侵攻に対して采配を振るい一度は切り抜けたものの、二度目の侵攻に対して三ヶ月の間籠城するものの、織田信長の援軍を受けることもできず、秋山の妻となることで和議に応じ、武田勢の下条信氏が岩村城に入ったとされています。
武田家に寝返ったおつやの方に対して遠山景行らが反発して上村の戦いとなるものの、秋山信友が撃退します。
しかし、おつやの方の武田方への寝返りによる織田信長への裏切りは、長篠の戦いで武田軍に勝利した信長が、降伏した秋山信友の助命の約束を破り、おつやの方を磔にして処刑したとも、自ら斬り捨てたともいわれるほど逆鱗に触れたようです。
織田信長が人生を翻弄した女城主であるおつやの方
織田信長が戦略として利用したお市の方もおつやの方も、不条理な戦国時代の生き方の選択を自ら選んで最期を迎えることとなり、それを悲劇と捉えるか、運命に立ち向かったと考えるかは、判断が分かれるところです。
織田信長に限らず戦国武将の多くが、女性を人質として戦略的に利用しており、岩村城の女城主になった織田信長の叔母にあたるおつやの方もその一人です。
織田信長がお市の方を浅井長政の正室に嫁がせて同盟の強化に利用したものの、戦さによって尾張に戻ったお市の方とは違い、おつやの方は岩村城に残り女城主となって自身の選択をし、一度は秋山信友の侵攻を防ぐものの、再度の侵略による降伏が悲劇的な最期を迎えてしまいます。