織田信長の家系図は?子孫の現在は?

織田信長を中心とした家系図では、直系の親である信秀、祖父の信定、曽祖父の吉信とさかのぼることができます。

戦国武将の多くが、正室と側室を持ち多くの子供をもうけており、戦国三英傑の一人である織田信長にも、11人の男子が直系として家系図をつなぎます。

織田信長には11人の実子の女子と5人の養子の女子がおり、男子と合わせて30人近い子孫へと織田家の家系図が引き継がれています。

織田信長を中心とした家系図が、現在までいかに引き継がれてきたかについて紹介します。

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織田信長の直系の子供達には?

織田信長には、正室に斎藤道三の娘濃姫がおり、側室には生駒氏と坂氏、お鍋の方、養観院、慈徳院、土方氏がいます。

織田信長と正室の濃姫の間には子供はおらず、前述の側室たちとの間には家系図で直系の男子と女子が20名以上います。

直系の男子のうち、長男の信忠と三男の信孝は、本能寺の変で織田信長と運命を共にしています。

本能寺の変での死を回避できた直系の男子の中で、江戸時代に次男の信雄が徳川家大名となり、高家旗本として存続させた七男の信高がいます。

直系男子のうち明治維新まで家系図を引き継ぎ華族となり、現在まで受け継がれているのは、次男の信雄の子孫にあたります。

織田信長の家系図を現在に引き継ぐのは?

織田信長の家系図を現在に引き継ぐ子孫は、信長の次男信雄の子孫にあたる天童藩と柏原藩の大名家の当主です。

天童藩の当主として昭和42年に亡くなった織田信恒は、漫画「正チャンの冒険」の原案・文を作った子爵、政治家、実業家といった人物で、信正、信昭の二人の子供が家系図を引き継いでいます。

柏原藩の当主を受け継ぐのは、現在フリージャーナリストやコピーライターとして活躍される織田信孝で、祖父は子爵の織田信大です。

織田信長の家系図を現在まで受け継ぐ子孫

織田信長は戦国大名として斎藤道三の娘濃姫を正室に迎え入れ、多くの側近を持っていたこともあり、直系の男子と女子のたくさんの子宝に恵まれ、養子も受け入れています。

現在、織田信長の直系男子といわれる子孫には、織田信恒、織田信孝の二人が信長の次男信雄の子孫にあたる二つの大名家の当主です。

だれにでも家系図を書くことはでき、自分のルーツを辿って先祖を知ることは面白いことかもしれず、意外な人が先祖であるかもしれません。

織田信長の直系男子が11人いたとされる家系図からすれば、激動の時代を生き抜くことの困難さが感じられ、新たな史料などの発見により子孫の確認がされるかもしれません。

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