織田信長には冷酷で物事の判断には超合理主義であるイメージがある一方で、他の武将に筆まめに手紙を送る気配りや配慮も残されています。
大河ドラマなどで描かれる織田信長の有名な手紙に、羽柴秀吉の妻おねに宛てたものがあり、信長のイメージとは違った一面が垣間見れます。
現存する織田信長自筆の唯一の手紙として残るおねに宛てた手紙は有名です。
織田信長とのちの豊臣秀吉となる羽柴秀吉、その妻おねとの関係や、織田信長がおねに宛てた手紙の内容などを紹介します。
織田信長の家臣木下藤吉郎とおねの結婚
後の豊臣秀吉である木下藤吉郎は、織田信長の家臣として仕えていた頃、実母の朝日の反対を押し切って戦国時代には珍しい恋愛で、おねとの結婚を果たします。
秀吉とおねには子供はなく、加藤清正や福島正則が幼い頃から住み込んでいたため、寝食の世話をしていたのがおねであり、戦国時代では珍しいことです。
豊臣秀吉の女好きと浮気癖は、おねとの結婚後明らかになるものの、おねの秀吉に対する献身的な妻の態度は変わらなかったものの、一度だけ激怒したことがあり、織田信長に訴えたことが、おね宛ての手紙からわかります。
織田信長が、家臣の嫁からの訴えに対して「天下布武」の印を押して、励ましの内容の手紙を渡していたことは、彼の意外な一面をあらわしています。
織田信長がおねに宛てた手紙には?
織田信長が、ひとりの家臣である秀吉とおねの夫婦喧嘩による訴えに対して、手紙を妻のおね宛てに送り、嫁側に味方する内容であったことも驚きです。
織田信長がおねの手紙からよほどの剣幕を感じたのか、最初からおねの味方だったのか、おねが立派な嫁であると褒め、美人になっているのだからヤキモチを焼くことは無いと諭したうえで、秀吉のことをハゲネズミとまで表現して、自信を持つように記しています。
しかも、手紙の最後には、ハゲネズミと呼んだ秀吉にこの手紙を見せろとまで書き、浮気していることを織田信長が知っているというプレッシャーをかけています。
この手紙により、秀吉が受けた精神的なプレッシャーは相当のものだったと想像できますが、それ以降も、秀吉の女グセは治らなかったようです。
織田信長が残した自筆のおねへの手紙
戦国時代の武将たちが残した書簡や手紙には、それぞれの性格や特徴を紐解くヒントとなるものも多く、織田信長が秀吉の妻おねに宛てた手紙も貴重な史料です。
織田信長の家臣の一人である秀吉と妻おねの夫婦喧嘩による訴えに、おね宛てに手紙を送っています。
おね宛ての手紙には、おねを褒めながら、秀吉をハゲネズミと蔑んだ表現をして励まし、秀吉に釘を刺す内容を記しています。
織田信長の家庭円満に対する嫁の存在を重視する姿勢が感じ取られ、家臣の家庭内の揉め事にも気を配る配慮をもったリーダーであったことを推測させます。