戦国時代に誕生する子供が成人を迎えることが、非常に難しかったために、戦国武将の多くが、正室と多くの側室に後継となる子供を産ませています。
織田信長の父、織田信秀も他の戦国武将と同様、織田達勝の娘を正室に迎えますが、その後、土田御前を継室に迎え、養徳院殿のほか複数の側室を抱えています。
織田信長は、織田信秀と土田御前との嫡男として誕生し、11人の兄弟と14人の姉妹がいますが、明確な誕生年や生母が判明していない兄弟姉妹も多くいます。
織田信長の兄弟姉妹とされる人々について紹介します。
織田信長の兄弟には?姉妹には?
織田信長の兄弟姉妹は、前述したように兄弟が11人、姉妹が14人と多いため、まずは、兄弟について紹介します。
織田信長の兄弟には、信広、信勝、秀俊、秀孝、信包、信治、信興、信照、秀成、長益、長利の11名の名前が史料などから判明していますが、生誕年が不明なものが多く、生母の違いなどもあり、出生順も明確にされていません。
織田信長と生みの親が同一である兄弟は、信勝のみであり、信長が本能寺の変で横死して以降に生き残ったのは、信包と長益のふたりだけです。
次に、姉妹が14名ということは史料からわかっていますが、名前が明確に判明しているのは、くらの方、犬山殿、お市の方、小田井殿、お犬の方、野夫殿、小林殿といった人たちで、他の姉妹の事跡がほとんど残されていません。
姉妹の中で、信長と同じ土田御前を母とするは、お市の方と犬の方だけで、小田井殿の母は側室の養徳院とされています。
織田信長と関わりの深かった兄弟姉妹は?
織田信長には、前述のように多くの兄弟姉妹がいましたが、信長との関わりが深かったのは、史実にも登場する信勝、お市の方、お犬の方といった兄弟姉妹が有名です。
織田信長の弟である勝信は、信長が家督相続後に林通勝や柴田勝家に担ぎ出されて、信長と稲生の戦いで敗戦し、土田御前の嘆願によって信長に赦免されたものの、その後、信長と家臣らによって謀殺されています。
お市の方は、浅井長政の正室として嫁ぎ、茶々、お初、お江の三姉妹を生んだことでも有名ですが、古谷城の戦いでお市と三人の娘たちは、織田信長の元に救出されています。
その後、お市の方は、柴田勝家と再婚し、後に勝家とともに自害しています。
お犬の方は、お市の方ほど知名度はないものの、お市の方と同様、信長の政略結婚に利用されて、佐治氏と細川氏のもとに嫁いでおり、本能寺の変の後に他界しています。
織田信長が本能寺の変で横死したのと同様に、数多くいた兄弟姉妹の多くが戦国時代に亡くなっています。
織田信長の兄弟姉妹で本能寺の変以降に生きたのは?
織田信長には、11人の兄弟と14人の姉妹という多くの兄弟姉妹が存在していましたが、信長の本能寺の変での横死以降に生き残ったのは、信包と長益の二人の兄弟くらいです。
お市の方は、再婚相手の柴田勝家と共に秀吉との戦いで自害しており、お犬の方は、信長の本能寺の変で横死した後、他界しています。
戦国時代に誕生する子供が無事に元服するまで成長することが難しく、それ以降も武将として生き抜くことがいかに難しかったかを、織田信長に多数いた兄弟姉妹たちをみると明白です。
