織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の関係と性格の違い

戦国時代の三英傑として名を連ねる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人ですが、信長の家臣が秀吉であり、信長と家康とは同盟関係、秀吉と家康は信長の家臣同士という関係がありました。

天下人となった三者の性格は、有名なホトトギスを題材にした俳句の表現に端的に表されていますが、いずれの武将にも大胆さとスケールの大きさが感じられます。

室町幕府を実質的に終わらせた織田信長、天下統一を果たし関白となった豊臣秀吉、そして徳川幕府を作った徳川家康のそれぞれの性格や関係を逸話などから紹介します。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の関係と性格

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の関係は、当初は信長の家臣であった秀吉と家康ですが、信長の本能寺の変での横死によって、秀吉が信長の後を継いで天下人となり、その後家康が天下人となります。

同じホトトギスを詠んだ俳句でも、織田信長は「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」と詠み、豊臣秀吉は「鳴かぬなら 鳴かせてみしょう ホトトギス」、徳川家康は「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」と詠んでおり、それぞれの性格を表しています。

「尾張の大うつけ」と呼ばれた織田信長は、カリスマ性を感じさせる冷徹さと人情味を持ち合わせた合理主義者で、豊臣秀吉は、信長を親方様と尊敬する関係をもち、信長とは違った残酷で器の小ささも感じさせるものの、人タラシとよばれるほど人心掌握に長けた武将だったといわれ、徳川家康は、もっとも忍耐強く、温厚である反面短気だったといわれています。

三者三様の性格が、天下人となるタイミングの違いにも現れており、いずれの武将にも、自らの性格と関係するかのような判断基準をもち、他の武将よりもスケールの大きな世界観を感じさせる史実を残しています。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のそれぞれが残した逸話

戦国武将として有名な三英傑には、さまざまな逸話が残されており、それぞれの武将の性格を感じさせるものも数多くあります。

織田信長の超合理主義といわれた性格は、兄妹であるお市やお犬を政略結婚の道具のように扱いながらも、その嫁ぎ先を配慮し、戦さとなった際には連れ戻すなど、当時の武将には珍しい人情味のある対応をし、その一方で、比叡山の焼き討ちにみられる残忍な性格を感じさせる面もあります。

豊臣秀吉は、派手好きの女好きなお祭り男のイメージがあり、秀吉が大切にしていた「鶴」を逃してしまった家臣が死を覚悟して告白した際には、「どこに逃げても、日本は私の庭。気にするな」と許した逸話が残されており、懐の深さを感じさせます。

徳川家康には、今川家に人質として預けられていた時、今川義元との謁見後に、庭先で突如放尿をし始めるほど、大胆不敵な子供だったという逸話が残されています。

いずれの戦国武将にも、幼少期から肝の据わった度胸の良さを感じさせる逸話が残され、性格に違いはあるものの、共通する点も感じられます。

戦国時代の三英傑の性格と関係

戦国時代の三英傑である織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の性格は、残されたさまざまな逸話から推測できます。

織田信長は、サイコパスともいわれるほど、冷徹な合理主義者と同時に人情味のあるカリスマリーダーとしての存在感を示しています。

豊臣秀吉は、信長とは違った残酷さを持っているものの、派手好きで女好きな陽気なお祭り男であり、信長を見習ったようなスケールの大きさをもった戦いをしています。

徳川家康は、幼少期の人質経験からか無口で忍耐強く、慎重な武将だったようですが、短気な逸話も残されています。