織田信長の父、織田信秀には、男子12人、女子は10人以上といわれる子沢山の尾張の戦国武将です。
織田信秀の男子の子供は、信広、秀俊、信長、信勝、秀孝、信包、信治、信興、信照、秀成、長益、長利の12人とされ、家督を受け継いだ織田信長は三男にあたりますが、正室土田氏との嫡出子としては嫡男となり、次男が信勝、三男が信包となります。
戦国時代の武将として有名な織田信長ですが、織田家の女子として有名なのはお市の方ですが、もうひとり、信秀の八女であるお犬の方が、お市とは対照的な存在です。
織田信長の妹にあたるお市の方とお犬の方について紹介します。
織田信長の妹にあたるお市とお犬は?
織田信長の妹、お市の方は、浅井家との同盟のために浅井長政の正室として嫁ぎ、三人の娘をもうけます。
その後、浅井長政と織田信長の姉川の戦いから古谷城の戦いで、娘たちと共に織田家に戻り、その後、柴田勝家と再婚し最後を迎えます。
信長とお市の妹にあたるお犬は、信秀の八女といわれ、最初の夫となった佐治信方が大野城主だったため、大野殿あるいは大野姫とも呼ばれています。
佐治信方が長島の一向一揆との戦いで亡くなり、織田信長の居城としていた岐阜城に戻り、お市の方の娘である茶々の後見となります。
その後、細川晴元の嫡男の山城槙島城主である細川昭元と再婚し、三人の子供をもうけています。
お犬の方は、織田信長が本能寺の変で亡くなった三ヶ月ほど後に死去しており、信長との因縁の深さを感じさせます。
お市の方に比べて地味な存在だったお犬の方
織田信長とお市の方は、浅井長政との関係から激動の人生を送っているため、戦国時代の歴史でもよく知られていますが、お犬の方は、嫁ぎ先の夫にそれほど目立った武功がないため、お市の方に比べて地味な存在となっています。
お犬の方は、織田信長が常武平氏の系図を望んでいたこともあり、佐治信方の臣従に対して嫁いでいますが、長島一向一揆での戦死を受けて、戦国武将の妻の悲哀を味わいます。
二度目の嫁ぎ先である細川信吉は、それまで足利将軍の中枢を担う管領職、右京大夫の官位を踏襲していたため、信長にとっては室町幕府対策として利用するための存在だったと考えられるものの、信吉の武運はなく摂津での本願寺下間頼龍らとの交戦で大敗しています。
お犬の方もお市の方と同様、織田信長の政略結婚に翻弄された人生を送っているのは共通しており、二人の美貌ゆえの戦国武将の妻としての悲哀を味ったと推察されます。
織田信長に翻弄された二人の妹たち
織田信長は、父信秀の嫡男として家督を継ぎ、妹であるお市とお犬の二人の人生にも影響を与えています。
戦国時代の歴史で有名な織田信長とお市の方よりも地味な扱いとなるお犬の方ですが、お市と同様、信長の意向を受けた政略結婚を受け入れた妹です。
お市の方とは違い、お犬の方の夫となった二人は、戦国武将としての武運がなかったのか、歴史上それほどの活躍をすることがなかったこともあり、お犬の方が地味な存在となっていますが、お市と同様に戦国武将の妻としての悲哀を味わっています。