現在の日本人の名前は、明治時代以前に使用された家名を表す名字や一族を表す氏、地位を示す姓が統一され、通称は廃止されています。
明治以前の日本人のフルネームには、家名、通称、氏、姓、本名を表す諱(いみな)と呼ばれる五つの要素があり、武士や貴族の子供には、幼名が付けられています。
幼名は、武士や貴族の子供が元服するまでの間の幼少期に使われる名前で、戦国武将の織田信長には吉法師という幼名が名付けられています。
織田信長の幼名としてつけられた吉法師の由来や、信長の幼少期などについて紹介します。
戦国武将の子供に名付けられた幼名がある理由は?
戦国時代は、現在のような医療技術がなかったために、子供が誕生して成人となる元服を迎えることが非常に難しく、幼少期に武将として使う名前ではなく、子供らしい名前として幼名をつけています。
無事に元服を迎えたときに、家族や友人と呼び合う通称と、武将としての威厳を示す本名を名付けます。
そのため、元服を迎えた武将の名前には、幼名、通称、官位、本名など複数の名前がつけられています。
戦国武将の三英傑の一人である織田信長にも、吉法師という幼名が名付けられており、法師には子供という意味があります。
幼名の頃の織田信長は?
幼名、吉法師の頃の織田信長は、上半身は裸で、半袴の腰には火打ち石を入れる巾着袋や瓢箪を下げ、朱鞘の太刀を縄帯にさして、茶筅のような頭といった格好で、お供の家臣たちにだらしなく寄り掛かり、柿や餅をかじりながら町を歩くなどしたため、尾張の大うつけと呼ばれています。
のちの徳川家康となる幼名、竹千代が今川義元の元に人質として送られる途中に一時期、織田家で吉法師と共に暮らしています。
吉法師は、8歳年下の竹千代に菓子や果物を与えたり、相撲の相手に引っ張り出して遊んだといった逸話が残されています。
のちに織田信長と同盟関係を結ぶことになる徳川家康とも、幼名の時期に接点があったことは、両者の宿縁だったといえます。
戦国武将の幼名には、生き抜くことの難しさがある?
戦国時代には、生まれた子供が成人となる元服を迎えることが非常に難しく、武将として威厳のある本名を名付けることを避け、無事に育ってくれることを願った幼名が名付けられています。
無事に元服を迎えたときに、武将として威厳のある本名を名付けており、それ以前に本名をつけることが無駄になるため、幼名が付けられたともいえます。
戦国武将として残忍な戦果を挙げた織田信長にも、幼名として吉法師という可愛らしい名前が名付けられていますが、気性の荒い信長を感じさせる逸話が残されています。
