織田信長が残した京都でのゆかりの地は?

室町時代の最後の将軍となる足利義昭を奉じて上洛を果たした織田信長の最期を迎えた場所が、京都の本願寺ということもあり、ゆかりの地が多々あります。

足利義昭の名前を利用して諸大名の上洛を要請し、それを拒否した朝倉を討つために挙兵したことで、織田信長は浅井、朝倉と戦うことになり、石山本願寺、甲斐の武田といった対抗勢力との戦いを重ねて天下布武の道を進んでいきます。

明智光秀による謀反を受けた本能寺をはじめ、戦国時代にさまざまな史実を残した織田信長の足跡を感じられる場所が、京都には点在しています。

天下布武を掲げた織田信長の京都でのゆかりの地を紹介します。

織田信長の京都でのゆかりの地を巡るには?

織田信長の京都でのゆかりの地といえば、本能寺跡、南蛮寺跡、本能寺、旧二条城跡、寺町阿弥陀寺、建勲神社といった場所があげられます。

織田信長の京都でのゆかりの地を巡るには、まずは地下鉄四条駅から烏丸通を御所の方へ向かい、蛸薬師通りを西へ折れると南蛮寺跡があり、蛸薬師通りをさらに西へ向かうと本能寺跡へ徒歩5分程度で到着できます。

本能寺跡から建勲神社へは、堀川通りに出てバスで30分程度の大徳寺前で下車し、大徳寺を右手に見ながら10分ほど歩くと建勲神社の大鳥居が見えます。

大徳寺前のバス停から再びバスで20分ほどの葵橋西詰で下車し、寺町通まで行って北に上った場所に寺町阿弥陀寺があります。

さらに、今出川通を東に向かい河原町通とぶつかる場所の河原町今出川バス停から京都市役所前バス停まで乗車し、御池通りを西に寺町通に行けば本能寺にたどり着けます。

織田信長が常宿として利用し、明智光秀の謀反により最期を迎えた場所となった本能寺跡は、京都中央区の寺町通御池に記念碑があります。

現在の本能寺は、京都市役所前駅から徒歩1分の場所にあり、豊臣秀吉の京都の区画整理によって移転され、信長の子信孝によって墓所が復興され、境内には織田信長と森蘭丸らの供養塔があります。

織田信長の京都でのゆかりの地には?

織田信長の京都でのゆかりの地といえば、本能寺が筆頭に挙げられ、織田信長が常宿として利用し、明智光秀の謀反により最期を迎えた場所となった本能寺跡は、京都中央区の寺町通御池に記念碑があります。

現在の本能寺は、京都市役所前駅から徒歩1分の場所にあり、豊臣秀吉の京都の区画整理によって移転され、信長の子信孝によって墓所が復興され、境内には織田信長と森蘭丸らの供養塔があります。

建勲神社は、明治2年に明治天皇が織田信長の偉勲を称えて創建した神社であり、豊臣秀吉によって信長の廟所とした場所でもあります。

旧二条城跡は、足利義昭の将軍座所として織田信長によって築かれ、室町幕府の滅亡とともに廃城となった場所です。

南蛮寺跡は、安土桃山時代にキリスト教宣教師が建てた教会跡で、織田信長父子が見物されたといわれ、豊臣秀吉の禁教令で破却されています。

寺町阿弥陀寺は、玉誉清玉が織田信長の帰依を得て近江国坂本から移転した寺で、信長と信忠の遺骨を葬ったとされる場所で、森蘭丸らの墓もあります。

織田信長の京都のゆかりの地は、当時を想像しながら!

戦国時代に天下布武をかかげて天下統一まであと一歩で最期を迎えた織田信長のゆかりの地は、京都に凝縮されています。

現在の本能寺は、豊臣秀吉によって移転されたもので、京都市役所前駅から徒歩1分の場所にあり、そのほかのゆかりの地を巡る起点とするにも便利な場所です。

戦国時代という激動の時代を生きた織田信長の京都でのゆかりの地を、徒歩とバスや電車を利用して巡ることで、当時の情景を想像してみることをオススメします。