織田信長と村上水軍との関わりは?連携は?

織田信長と村上水軍との関わりは、石山本願寺との戦いにおいて、兵糧攻めの作戦遂行のために海上を封鎖する際の最大の敵として対峙します。

織田家中でも攻めの苦手な佐久間信盛が伊勢志摩を拠点とする水軍の九鬼嘉隆とともに村上水軍と戦いますが、木っ端微塵にやられます。

陶器に火薬を入れた手榴弾のような武器を使用する村上水軍の攻撃を受けて、九鬼水軍は火だるまとなり、惨敗を期しています。

織田信長が、巨額な資金を投じて鉄製の船を造船してまで対抗した村上水軍の排除にこだわった意味と戦略を紹介します。

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村上武吉が率いた村上水軍とは?

村上水軍は、瀬戸内海に多数存在していた島々をつなぐ海上交通において、海賊行為や海上交易をおこなっています。

1533年ごろに能島村上水軍の村上義忠の息子として生まれた村上武吉は、先代までの海賊行為をやめる代わりに、航行する商船などを海賊から守るという名目の「帆別銭」の通行料を徴収し、周防上関を拠点として瀬戸内海の要衝を抑えた水軍の大将です。

毛利軍の家臣団に組み込まれた村上水軍は、毛利輝元と織田信長の衝突から、織田軍の攻撃を受けている石山本願寺への兵糧運搬を行い、大阪湾での佐久間信盛と九鬼水軍との木津川口の戦いにおいて、焙烙玉や焙烙矢を駆使して勝利しています。

海上戦において、戦国時代に使用していた木造船を火だるまにしてしまう村上水軍の戦略に対抗する織田信長の鉄船が、この戦いにより建造されます。

織田信長が村上水軍に対抗して鉄船を造船させたのは?

織田信長が、石山本願寺を兵糧攻めにする戦略で勝利するためには、海上からの物資補給を断つ必要があり、村上水軍を封じなければなりません。

第一次木津川口の戦いで、火による大敗戦を強いられたことで、織田信長は、九鬼嘉隆と滝川一益に命じて6隻の「鉄船」を造船することを命じ、その後の第二次木津川口の戦いで、大筒と鉄砲による攻撃と鉄製の船体構造で、村上水軍に大勝しています。

村上水軍による海上攻撃を撃破したことにより、織田信長が石山本願寺との戦いにも勝利し、一向一揆の蜂起を抑えられ、海上交通の拠点となる堺を抑えることで経済の活性化も期待しています。

織田信長と村上水軍の戦いには、海上拠点の堺を抑えることと、一向一揆の大元である石山本願寺を抑える二つの戦果があり、日本初の鉄製の船が造船されたことにも意義がありました。

織田信長と村上水軍の戦いで生まれた鉄船

織田信長と村上水軍が、石山本願寺の戦いで生じた衝突により、織田軍の佐久間信盛と水軍の九鬼喜隆は、村上水軍の陶器に火薬を入れた手榴弾のような焙烙玉によって火だるまにされ惨敗します。

その結果を受けた織田信長は、九鬼喜隆と滝川一益に命じて「鉄船」を造船させ、再戦となる木津川口の戦いで大勝します。

織田信長は、村上水軍に勝利したことで、日本初の鉄製の船が造船し、石山本願寺を封じたことで一向一揆の蜂起も抑え、海上交通の拠点である堺を抑えています。

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